大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和23年(行)239号の8 判決 1963年5月23日

原告 年木久勝

被告 大阪市東淀川区農業委員会

訴訟代理人 堀川嘉夫 外三名

主文

大阪市東淀川区農地委員会が昭和二三年四月二六日別紙目録(ロ)の土地について定めた買収計画を取り消す。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担、その余を原告の負担とする。

事  実 <省略>

理由

一、請求原因一の事実は、裁決書送達の日の点を除いて、当事者間に争いがなく、裁決書送達の日も昭和二三年一一月四日以後であることについては当事者間に争いがない。

二、死者買収に関する原告の主張について

本件買収計画は本件土地の所有者を年木久祐と表示して定められたが、同人は当時すでに死亡しており、家督相続により原告が本件土地の所有者となつていたことは、当事者間に争いがない。

農地買収は、農地の現実の所有者を相手方としてこれを行うべきものであり、死者を相手方として買収処分をすることは無意味であるから、区農地委が本件土地の所有者を年木久祐名義で表示したのも、すでに死亡している年木久祐という特定の個人の個性を重視したのではなく、本件土地をその真実の所有者から買収するため本件買収計画を定め、真実の所有者を表示する趣旨で年木久祐と表示したものと解せられる。そして、買収計画に所有者と表示された者が真実の所有者と異なる場合のうちでも、売買、贈与等、所有権の特定承継があつたことによる場合には、所有権の承継が私人間の意思表示という、第三者において確認することが必ずしも容易でない要素にかかつているばかりでなく、二重売買、二重贈与等が行われる余地もあり、何びとが真実の所有者であるかは容易に特定できず、ときには特定できないこともありうる。これに反して、死亡を原因とする家督相続による包括承継の場合には、相続人が法定されており、被相続人の死亡という客観的事実とあいまつて、何びとが真実の所有者であるかは明白である。従つて、買収計画に被相続人の氏名を表示しただけでも、区農地委が何びとを真実の所有者であるとしたかは特定できているわけである。本件土地の所有者は、買収計画に所有者として表示された年木久祐の相続人である原告以外には存在しなかつたわけで、所有名義人を年木久祐と表示した本件買収計画は、とりもなおさず、その相続人である原告から、その所有する本件土地を買収するものと解することができる。原告が本件買収計画に対して異議、訴願をしながら、所有者誤認のかしがあつたことについてはなんら主張した形跡がないところからすれば(死者買収の主張は昭和三四年一月二〇日の口頭弁論期日においてはじめてなされたものであることは記録上明らかである)、原告自身も、右買収計画は原告の所有地を原告から買収するため定められたものであることを了解していたと解せられる。また、原告は右のとおけ本件買収計画に対して適法に異議、訴願をしているから、買収計画に所有者が年木久祐と表示されたことにより、原告の権利ないし利益が侵害されたとは認められない。結局、本件買収計画は、原告を本件土地の所有者とし、原告からこれを買収するために定められたものとして適法であり、区農地委が所有者として原告の氏名を表示せず年木久祐と表示したことは、本件買収計画の取消原因とならないと解するのが相当である。

三、本件土地は小作地でないとの原告の主張について

証人東本由三郎、同田中ハル、同西尾鶴松の各証言ならびに年木好江の原告法定代理人本人としての尋問の結果を総合すると、(イ)の土地は東本由三郎の親の代に当時の地主から賃借し、その後右由三郎が賃借人の地位を承継し、昭和四年地主が原告の父久祐にかわつてからも、引き続き賃料反当り一石の約で賃借して耕作してきた土地で、(ロ)の土地は田中徳松が昭和二年頃右久祐から賃料反当り八斗の約で賃借して、耕作してきた土地であることが認められる。証人西尾鶴松、年木好江の原告法定代理人としての各供述中、右(イ)の土地は昭和一五年頃久祐が東本から返還を受けた旨の供述部分は証人東本の証言に照らして信用できない。原告の右主張は失当である。

四、自創法五条四号に関する原告の主張について

自創法五条四号の買収除外の指定は、都市計画事業と自作農創設事業の調整をはかるために行われる都道府県知事の自由裁量処分であるから、その指定がない以上、都市計画法にもとづく土地区画整理施行地区内の農地であつても買収することができる。従つて原告の主張はそれ自体失当である。

五、自創法五条五号に関する原告の主張について

(一)  (イ)の土地について

証人東本由三郎、同西尾鶴松の各証言、右土地の検証(二回)の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(イ)の土地は、戦時中計画されていた東京下関間の弾丸列車の新大阪駅予定地として国鉄が買収した土地の一五〇ないし二〇〇米北方にあり、買収計画当時の周囲の状況は北方約一〇〇米のところに数戸の家屋、西北方四・五〇米のところに十数戸の家屋、西南方一〇〇ないし一五〇米前後のところに数十戸の井有部落、東方約五〇米のところに墓地、東方二〇〇ないし二五〇米前後のところに大阪染工株式会社の工場があつたほかは、すべて田であつた。昭和三八年二月五日の検証期日当時には、川の土地は周囲の隣接土地とともに東三国中学校の校庭となつていて、その境界も明確でなく、西北方には右東三国中学校に隣接して東三国小学校があり、同小学校の西方から右中学校の南方にかけてはかなり密集した住宅街となつていたが、昭和三四年一一月一〇日の検証期日当時には、南方三・四〇〇米のところに昭和三三年建築の家屋が二〇戸前後、東南方三〇〇ないし五〇〇米のところに昭和三四年建築の日本住宅公団東淀川団地の鉄筋住宅があつたのと、西方約一〇米のところまで前記東三国小学校(当時は北中島小学校の分校)の校庭となつていて、その北部に昭和三四年建築の木造二階建校舎、西部に建築中の鉄筋校舎があつたほかは、買収計画当時と同様であり、(イ)の土地もまだ耕作を続けられていた。

以上の事実が認められる。右認定のとおり、(イ)の土地は前記弾丸列車の新大阪駅予定地の北方二〇〇米足らずのところにあり、もしその計画がそのまま実施されていたならば、(イ)の土地も近い将来宅地となることは必定であつたと考えられるが、右弾丸列車の計画は終戦とともに中断し、本件買収計画当時には実現のみとおしがたたない状況にあつたし、最近になつて再び東海道新幹線建設の計画が具体化したが、それは新らしく計画しなおされたもので、昭和三五年前後に決定をみた新大阪駅予定地も先の弾丸列車の新大阪駅予定地とは場所が異つている(以上の事実は公知の事実である)。また、(イ)の土地は現在ではすでに学校敷地となつているが、(イ)の土地ならびにその周辺に学校、公団住宅、一般住宅等が建設されはじめたのは昭和三三年以降のことである。これらの事情を考慮すると、(イ)の土地ならびにその周辺の前認定の程度の状況をもつてしては、まだ本件買収計画当時(イ)の土地が自創法五条五号にいう「近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地」であつたとは認められない。

(二)  (ロ)の土地について

右土地の検証(二回)の結果、年木好江の原告法定代理人本人としての尋問の結果ならびに口頭弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。

(ロ)の土地は、阪急電鉄宝塚線の三国駅から、両側に商店あるいは住宅が軒を連らねている能勢街道を約六五〇米南下し、東に約五〇米入つたところにある。昭和三八年二月五日の検証期日当時の周囲の状況は別紙図面のとおりであつて、本件買収計画当時には、北側に(ロ)の土地とほぼ同一面積の田(二六九番地二と六八番地)をへだてて関西電力三国変電所(F)、その西側に関西電力三国営業所(F'(ロ)の土地の東南方に市営住宅(B)が、昭和三〇年七月にはその少し東の方に市営住宅(A)が、昭和三二年頃には(ロ)の土地の東方にJ、H、I、の建物が建った。昭和三三年には都市計画による幅員二五米の市道、新圧・歌島線の工事が許可され、(ロ)の土地の大部分が右道路にかかることになり、(ロ)の土地は昭和三二年の稲作を最後にその後は耕作されていない。右市道新設のため(ロ)の土地の東側は道路と溝をへだててすでに地上げされており、西側の工場E'

以上の事実が認められる。右認定のとおり、(ロ)の土地の東方および東南方のABJHIの建物は昭和二九年以降に建てられたものであり、都市計画道路が具体化したのも昭和三三年頃ではあるけれども、本件買収計画当時同の土地はすでに南、西、北の三方においてCDE'のと認められる。

六、以上のとおり、本件買収計画中(イ)の土地については原告主張のような違法はなく、原告が不在地主であることは当事者間に争いがないから、(イ)の土地は自創法三条一項一号により買収すべき小作農地であつたことはあきらかである。従つて(イ)の土地の買収計画は適法である。しかしながら、(ロ)の土地については、区農地委または大阪府農地委員会において自創法五号五条による買収除外の指定をすべきであつたのに、これをすることなく、右土地を買収することとした点において違法があり、取り消されるべきである。

そこで、原告の本訴請求中(イ)の土地についての請求は失当として棄却し、(ロ)の土地についての請求は相当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴九二条を適用して主交のとおり判決する。

(裁判官 前田覚郎 平田浩 野田殷稔)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例